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認知症の母を見て高齢者問題を考える
認知症の母を見て高齢者問題を考える
母は4年前から認知症のため、青森県の実家近くの介護施設にお世話になっている。
母を見て「認知症にならないためにはどうすればよいのか」高齢者問題を考えてみた。
1 母の状況
母は本年9月20日で米寿の88歳を迎えた。
青森県北部津軽地方に生まれ、地元に嫁いだ。
私たち4人の兄弟を生み育てた。
そして、家督の兄に嫁をもらった。男兄弟ばかりの家庭に若い女性が加わったことにより、
母は自分の娘ができたかのようにおおいに喜び、いきいきしていた。
母は60歳過ぎに夫(筆者の父)を亡くした。
兄夫婦は共稼ぎだったが、義姉は仕事から帰ってからも母が担当している家事を手伝った。
母は家事担当と兄の子供(孫)の面倒を見るという役割を果たしていた。
そして、得意の野菜作りに励み、近所の友人たちと語るのが日課であった。
2 次第に認知症の症状が・・
ところが社会及び家庭の状況変化と共に次第に認知症の兆候が現れた。要約すると次のとおり。
①孫が成長し、実家から独立した。
(→果たすべき役割がなくなった)
②体力の衰えのせいか、腐った野菜の放置が目立つようになり、かたづけに追われる義姉から畑づくりが制限され、
その後禁止された。 (→好きなことができなくなった)
③義姉は不況のあおりで工場勤めをやめざるを得なくなり、家事の中心的立場となった。
終日母の面倒を見る立場になった。義姉はきれい好きなため、その結果、物忘れが激しい、
何でもとっておく癖のある母を注意するようになった。 (→ますます行動が制限された)
④近所にいた母の友人が次々と亡くなり、話し相手がいなくなり「寂しくなった」と感じるようになった。
(→話す機会が少なくなった)
⑤母は高齢になるにつれて、物忘れが激しくなり、次第に同じことを繰り返す会話をするようになった。
(→話し相手がいなくなる)
以上のことから、認知症の症状が顕著になり、
- 義姉から強力な提言があったこと
- 帰省した際に義姉から怒られている母の姿を見るに堪えなかった
ことなどから、介護施設に入所させることにした。4年前のことだった。
3 入所して母の顔色がよくなった
最近、実家に里帰りをした際、施設を訪問して驚くことがあった。
相変わらず同じことを繰り返す会話だったが、母の表情がとても明るく元気なのである。
実家にいる頃には見たことがなく、義姉への不満ばかりを漏らしていた。
おそらく介護施設内での果たすべき役割があるから? 話す相手がいるから?
介護施設職員の対応がよいから?あるいは恐い義姉の顔を見なくてもよいから?
(やさしい義姉に失礼だが、本人の気持ちを察すると)
入所させた頃、私は「姥捨て行為」ではないかと葛藤した。本来家族は同居すべきであると考えている。
お互いに助け合い、喜び合い生きていく運命共同体。
家族の一員を家族から引き離す行為は、子供の場合はあっても、親の場合はいかがなものか?
私の場合は一年に一度しか母と顔を合わせない。
当の義姉は毎日顔を合わせる。
だから義姉の立場はよく分るし、実家の嫁に親を押しつけている兄弟としては申し訳ないと思っている。
しかし、最近は施設に入れて良かった気がする。
4 社会保障費の増大
以上のことから、高齢者問題について考えさせられた。どうすれば認知症にならないか?
介護のお世話にならずに、最後まで自立したいきいきした人生を送るにはどうすればよいか?
ところで「社会保障費の増大」、これは現在の日本の事情からすると緊急の課題である。
2015年には4人に1人が65歳以上になることが予測されている。
また、社会保障給付費の国民所得に占める割合は約27%となっている。
年金・医療・介護がその中心を占めるという。
このため、医療の高齢者支援、40歳以上の介護保険料の負担など現役世代の負担感が極めて大きい。
認知症防止は社会保障費増大を阻止することにつながるのではないでしょうか。
5 認知症防止とは役割を果たすこと
これは我々一人一人の生き方の問題である。
そこで、社会にとっては社会保障費、とりわけ介護費用を削減するため、個人及び家族にとって、
最期までいきいきした自立した人生を送るための、一つの結論として、社会・地域・家庭における役割を見出し、
果たすことだと思う。
母の例から、人間は果たすべき役割が引き続きあるとすれば、認知症にならないのではないかと思う。
それではどのような役割を果たせばよいのか?
①職業に就いて報酬を得る
②世代を超えた地域活動
③各種ボランテイア活動
④家庭内における家事(全部か一部)を担当
⑤自ら事業を運営
⑥趣味などサークル活動で役割を果たす
など多くの方法があると思う。
次の世代である我々は、社会のせい、時代のせい、景気のせい、災害のせいだとして嘆いてばかりではなく、
進んで役割を見出し、果たしていかなければならない。
そして、とりわけ介護財政の増大を阻止し、ひいては社会保障費の増大を防がなければならない。
資料によると、60歳の人には約23年の平均余命がある。
これからの長い人生は「老い」と戦いつつ、介護を受けずに、自助・独立の精神で自分の可能性を追求し、
豊かで充実した生きがいのある生涯生活を送りたいものである。