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地元に認められた自衛隊OBそば店主の奮闘

修親2008.11

地元に認められた自衛隊OBそば店主の奮闘

仙台・準会員 三上ヒサミ

  来年一月からNHK大河ドラマ、上杉の知将、直江兼継を描いた「天地人」が放送されます。地元の山形県米沢地区を中心とする置賜地方では、大いに盛り上がっています。

そこで、本稿において、ご当地で、そば店経営に成功し、さらに、行政区長という地元のリーダーとしても活躍している素晴らしい自衛隊OBを紹介します。

 

一 久しぶりに店を訪ねたが

実は、私は、平成十九年十二月初旬、初めて山形労働局主催就職支援セミナーの講師を担当することになり、彼がそば店を営んでいる高畠町の隣、米沢市へ出張することになった。

そこで、彼の店を訪問したい旨を事前に連絡していた。

当日、業務は早めに済まして、昔の記憶をたよりに、彼の店にたどり着いた。ところが彼は、急きょ、知人の葬儀のため不在となり、代わって奥さんが対応してくれた。店は相変わらず自宅そのままである。店が掲載されたたくさんの専門誌を見せてくれた。そして、いつも、お客さんがたくさん来てくれて、毎日が忙しいけれど充実しているという。「十年間は、いっしょにやろうねと夫と約束して始めたのですよ。あと二年(読者がこの原稿を読んでいるときはあと一年)ね。」と笑顔で話していた。

日が暮れるのも早く、吹雪の夜となり、見知らぬ道を慎重に運転し、予約していた米沢市内のホテルへと急いだ。私がホテル到着後しばらくして、彼は申し訳なさそうにして、ホテルまで私を訪ねて来た。そして、米沢市内の居酒屋へと私を誘ったのである。居酒屋では、彼は、座るやいなや、すぐに、今までためていたことを一気に話し始めた。

 

二 八年目にして認められた無情の喜び

六三歳になった彼と盃を交わした直後、彼の口から「何よりも一番うれしいのは、八年目にして初めて地元の人たちに心から認められたことです。」と打ち明けられた。地域の人たちに認められたことは、そば店経営の成功よりも、はるかにうれしいとのことだった。私も心からお祝いを申し上げた。

「しかし、それにしても開業して八年目にしてですか? ということは、 七年間は認められなかった。ということは、さぞ辛い思いをしたのでしょうね。」と相づちを打ちながら、彼が定年後地元に帰り、そば店を開店し、地元に認められるまでのいきさつについて、話を聞くことになった。

 

三 手打ちそば店の開業

彼は、平成十一年、福島部隊を最後に定年退職した。定年前に、そば打ち教室でそば打ちを勉強し、時々、部下を呼んで、そばの試食会を開き、その腕を磨いた。そして、そば店開業に関し、商売は全くの素人でありながら、しっかりとした計画を立てた。「特別な工事をせず自宅(実家)をそのままの状態で開放し、地域の中小企業の接待の場として活用できるよう、やや高級感と懐かしさと落ち着きのある手打ちそば店をやる。」という方針を確立し、定年退職後、そのとおり実行したのである。それが見事にあたり(もちろん他の要素もあったようだが)、大成功を収めたのである。

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四 店は繁盛、しかし地元に融け込めず

ところが、彼には悩みがあった。いくら実家といえども、地元の人たちからは、白い目で見られた。「自衛隊を定年になっていきなり帰ってきたからって、そば屋などできるもんか。」などと言われた。と同時に、地元の人たちとはかみ合わないところがたくさんあることに気づいたという。

例えば、地域の寄り合いで、地域起こしについて話し合った。しかし、地元住民が発言する内容のほとんどが「陳情」と「文句」であり、「なぜ、私はこうしたいとか、こうした方がよいとか提案しないのか。提案したとしても、なぜ理由を言わないのか?」彼は次第に腹立たしさを覚え、とうとう、寄り合いには参加しなくなった。

この時、彼は、自衛隊勤務を思い出し、「自衛隊の勤務を通じて、状況判断の思考過程を勉強したこと、通常の会議において意見及びその理由を述べる習慣を身につけたことなど、自衛隊にはいって本当にすばらしいことを学ぶことができた。本当に良かった。今、このトシ(年齢)になってその思いが、ますます強くなった。」と、自分を育ててくれた自衛隊に心から感謝していた。

 

五 孤軍奮闘、放棄土地を改修!

さて、彼は、自分の意見を「自らの行動」で主張することにした。

地域興しのために、高齢者が放棄した耕作地を再利用することを考え、店の近くの水田を借りて(実際は地主から使ってくれと頼まれたが、借りた形にした。)、そばの栽培を始めたのである。店の窓から、一面に広がる白い花をつけたそば畑が見渡せるようにしたのである。

今では、遠くからやってくるファンにはたいへん魅力的な風景になっているようだ。

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六 困難を極めたブドウ畑の改修

高畠町はワインで知られているが、山間にはブドウ畑もまた放棄されたままになっている。

彼は、炎天下、たった一人で、ショベル(スコップ)を使用し(さすが元施設科幹部!)更地にするというとてつもない改修工事に挑戦したのである。

ブドウ畑には、ブドウをはわせるため、鉄線を張り巡らせている。鉄線の末端は地中約一メートルの深さまでに埋められた「根かせ」に巻き付けられている。さらに、鉄線を支える数々の杭の根元(地中に埋められている部分)には、それ以上杭が沈み込まないよう大きな石が敷かれている。その杭は三、五メートル間隔の四方に配置されている。従って、彼はショベルをもって掘り起こし、たくさんのブドウのツルと根、根かせと杭と大きな石を、たった一人でしかも手作業で掘り起こし、撤去しなければならない。

元々、地主が、撤去に費用と労力をかけられないから放棄されたブドウ畑。業者に依頼すると、膨大な費用がかかるらしい。

このようにして彼は、汗を流し、ただ黙々と一人で作業し、斜面にあるブドウ畑を更地にし、そばを植え、見事にその土地の再利用に成功したのである。

 

七 「無言実行」が受け入れられた

これを見た地元の人たちに、彼は、尊敬の目で見られるようになり、ついには、地元のリーダーに押し上げられたのである。

その後、地元の高齢者たちからは、自分の土地も更地にしてくれと再三にわたって頼まれるが、彼も六十歳を超え体力的に限界という理由で、その都度断っている。

このように彼は、故郷の土地に舞い戻り、そば店開業以来、八年目にして、ようやく地元の人たちに受け入れられたのである。

彼は、地元に受け入れられた喜びを自衛隊OB同士、共に分かち合いたかったようだ。

彼は、今後のことを話した。

「そば店を経営するのは十年間」という奥さんとの約束があるので、十年後は、そば粉の製粉を専門にやりたいと、引き続き、そばとの関わりを持ちたいとのことだった。

 

八 「成せばなる・・・」

このようなお話を聞き、現職時代から無言実行型の彼には素晴らしい行動力と人間的魅力があり、それが地元で大輪の花を咲かせたようだ。

そして、彼は、第九代米沢藩主 上杉鷹山公の「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の精神をしっかりと受け継いでいるようだ。

最後に、読者の皆様、彼は地元のリーダーとして「行政区長」を務めつつも、お店は非常に人気を博しているので、是非、彼が打ったホンモノの十割そばを賞味してみて下さい。

なお、営業時間が短いので注意して下さい。

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