ヘタでも楽しんだ方が勝ち!
ヘタでも楽しんだ方が勝ち!
最近、知人に二次会へ誘われ、市内にある知人の馴染みのスナックへ入った。席につくと同時にゴルフの話しを始めた。どうやら、知人にとって、スナックのママとはゴルフ仲間のようだ。
「最近、(ゴルフ練習場へ)行ってるの?」
「時々、行ってるよ。」
ママはお酒の準備で慌ただしく動き始めた。私が知人に尋ねた。
「だいたい、どのくらいで回っているの?」
「最近ね、百を切ったので嬉しくて、嬉しくて。ゴルフって面白いよね。」普段あまり見せたことがない満面の笑顔で知人は話した。
ところが、ママは七十台のスコアを出していると言うので、二人とも唖然とした。知人の笑顔も瞬時に消えた。ママのお話しを要約すると次のとおりである。
以前、勤めていたスナックのママに「客商売だから、お客さんとお話しができるように、ゴルフを勉強しなさい。」となかば強制的に勧められ、プロのインストラクターからゴルフのABCを学んだ。
その結果、全盛期のスコアは七十台を維持し、コンペにおいては優勝するほどの腕前に上達した。そして、その「実力」を維持するため、今でも、週二回はゴルフ練習場において、プロのインストラクターに教えをいただいているという。
なんと羨ましいことか。ところが、最後の言葉を聞いた瞬間、驚きと失望の念にかられた。
私「ママさんって凄いですね。羨ましいですね。それ程の腕前だったら、ゴルフをやっていて、楽しくて仕方ないでしょう?」
ママ「いいえ、全然楽しくないんです。」
私「え?楽しくないのですか?それじゃ、どうしてお金と時間をかけて、そこまでやるんですか?」
「仕事だからです。」と小さな声で答えた。
元々暗い店内なのに、雰囲気的にますます暗くなってきた。
次の客が入ってきたタイミングを見計らって、そのスナックを出た。
店の外で知人と別れて、一人で歩いて帰宅した。帰路、普段より多目のアルコールが入った頭の中で現職時代を思い出した。
私は当時、以前から昼休みを利用して、いつもの仲間とバドミントンで遊んでいた。
「遊び場」は古い木造の建物で、普段は武道場として使われ、天井が低く、梁がむき出しになっているため、バドミントンのシャトルコックを天井に上げることができないのである。従って、普通の体育館のように放物線を描くような打ち方はできず、水平にシャトルコックを打つか、ネット際(ぎわ)をうまく使うという戦いが一般的になっていた。
そのような「遊び場」の特性をうまく生かしながら、「狸の騙し合い」とか「ウルトラC級の大技」に一喜一憂するのである。それがとても楽しい。
ある時、地区の高校バドミントンチャンピオンだったという若い陸士が我々の遊びに加わった。彼のスマッシュは速くなかなか打ち返すことができなかった。できたとしてもまともにできなかった。さすがに元チャンピオン。他の仲間も手の打ちようがない。
数日後、強力なスマッシュも次第に打ち返されるようになった。それとともに彼は失敗する回数が増えた。相手に点を与えるようになった。我々は一点でも得点すると、相変わらず大げさな態度で大喜び。その後まもなく、彼はピタッと「遊び場」に来なくなった。なぜだろうか?
彼は地区高校バドミントンチャンピオンとしての実力はある。しかし、我々と違ったのは、喜ぶしぐさが一度もなかった。成功を喜ぶよりも、失敗の穴埋めばかりを考えていたようだ。本当に心からバドミントンが楽しい、好きだと感じたことがなかったのではないだろうか。楽しさを知っていれば必ずまたやって来たはず。しかし、来なかった。
世の中には、他人から見ると羨ましいと思う人がたくさんいる。しかし、決して楽しいと感じていない人もいる。反対に下手であっても工夫して楽しんでいる人もいる。そしていきいきしている。
私はそれほど実力がなくとも、人生を楽しんだ方がいいとつくづく思った次第である。 自宅に到着したのは午後十時だった。