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人生の終末期とライフプラン
人生の終末期とライフプラン
1 はじめに
5~8月にかけて残念ながら4人の知人が亡くなった。それぞれ異なる事情から、人生の終末期のあり方について
考えさせられたので、その一端を紹介したい。
2 K氏の場合
K氏は平成26年5月20日、89歳で肺がんにより亡くなった。本人の希望により、抗がん剤などの投与などを行わない
自宅療養を4年前から続けていた。自宅にて、宣告通り亡くなった。
K氏と筆者の関係は、かつての上司であり、最近までOB会でお付き合いのある方。
K氏は自衛隊を定年退職後、民間会社に再就職。その後職業人生からリタイヤしていた。
K氏は奥様、長男家族と同居。療養中は奥様が介護。負担はほとんど感じなかったという。
つまり、普段は、布団に横になっていてもトイレは自分で済ませていたという。
K氏が亡くなった後、奥様は意外と元気。その理由を次のように推測する。
⑴ 療養中の4年間、本人及び家族が死後の生活についてしっかりと準備したこと。
⑵ 奥様は古布を活用した手芸講師として社会活動をしていること。
⑶ 長男家族と同居していること。
3 S氏の場合
S氏は平成26年7月1日、64歳で肺がんにより亡くなった。3年前に2年の余命と宣告されたが、通院治療を続け、
1年分長く存命した。
S氏と筆者の関係は、自衛隊幹部候補生学校(福岡県久留米市)の同期生。同じ東北出身の年長で
尊敬していた人物である。S氏は自衛隊定年退職後、秋田市へ戻り、民間会社に再就職し、再び退職。
S氏の一人息子は外国に居住し、夫婦だけの生活。療養期間中は、おそるおそるではあったが夫婦で全国各地を
旅行した。奥様のお話では存命期間が1年延びたのはこのような前向きの取り組みがあったからだと言う。
S氏は自分の病気をすぐに受け入れ、覚悟を決めた。残された時間をいかに活用すべきかを考え、夫婦の時間を
とても大切にした。旅行もその一環に過ぎない。
しかし、残された奥様にとってそのショックは大きい。
4 T氏の場合
T氏は平成26年7月6日、88歳ですい臓がんにより亡くなった。こまめに健康診断を受け、健康的な生活を送っていた。
突然激痛を感じ緊急入院。2週後に亡くなった。
T氏との関係はかつての上司であり、最近までOB会でお付き合いがあった。
T氏は自衛隊定年退職後、民間会社に再就職し、その人柄・実績から役員に抜擢された。
その後職業人生からリタイヤしていた。
家族の状況は奥様と二人暮らし。2人の子供は独立し遠方に居住。入院直前までは近くの公園にて夫婦で散歩を
楽しんでいた。このような最期を全く予期していなかった。
T氏が亡くなった後、奥様はとても愕然としていた。その理由を次のように推測する。
⑴ 2週間という短時間では、身内の死は受け入れ難く、心の整理がついていない。
⑵ 常に夫婦共に行動していたが、突然の一人暮らしになったこと。
⑶ 子供は遠方に居住のため、心情を共有できない。
このような突然のリスクに備えるためにも、きちんとしたライフプランとその準備が重要であることを痛感した。
また、健康診断結果だけで安心せず、あえて自分から病気の兆候を探し出す人間ドッグを利用することも有効である。
5 B氏の場合
B氏は平成26年8月20日、84歳で食道がんにより亡くなった。健康診断をほとんど受けたことがないが、
いたって健康であったB氏は、6月、体調不良のため珍しく自ら病院へ出向いた。
治療を受け完治したが、事前の検査で発見されたがんが進行し、一人暮らしのB氏は次第に食事もとれなくなり眠る
毎日を過ごすようになった。それでもときおり農作業をしていた。
B氏は妻の実父である。1か月に2~4回は義父宅を訪問していたのでその様子を把握していた。7月1日に入院。
さらに、終末医療を施す病院へ転院。宣告通り入院から約2か月後に亡くなった。
B氏は農家の家督として地元で農業をしていたが、約20年前に妻、長男を亡くし、一人暮らしを余儀なくされた。
近所の親せきと嫁いだ娘(筆者の妻を含む)の支援を受けながらほぼ自立した生活を送っていた。
義父は、地元の伝統的な葬儀の指導者であり「若い和尚さんは、我々が育てなければならない。」というほど。
突然、一人暮らしという大きなリスクを背負い込んだが、地域で役割を果たしながら、親戚、子供とうまく
付き合いつつ、生きがいと収入確保、健康維持のため、直前まで体を動かし農作業に打ち込み、
介護のお世話を全く受けないという、比較的健康寿命を全うしたと言える人生だったと思う。
6 さいごに
4人の知人はいずれもがんが原因で亡くなった。入院か自宅療養、療養期間の長短、家族の関係等事情は異なる。
人生の整理と死後を考慮すると、2週間、2か月の療養期間は短すぎる。
自分の状況を受け入れ、療養を継続しながら、最後にやり残しをなくするような人生の整理、そして、
残された人の生活を考える時間が必要である。
このためには6か月~1年ぐらい必要ではないだろうか。
ただし、自己判断能力がある場合に限る。
いわゆる「ピンピンコロリ」の「コロリ」は6か月~1年ぐらい必要ではないか。
加齢に伴う老化現象は避けられない。
しかし、それでも生きがいを追求しつつ、人生の最大のリスクである自分の最後を認識し、対策を講じて、
配偶者も含めたライフプランをしっかりと確立することが極めて重要であると痛感した。