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復興の最終目標は産業と仕事

石巻市日和山から被災した現場
市民病院、市文化センター、日和大橋が見える

6月11日で大震災後3ヶ月を迎えました。
午後2時46分近くのサイレンの音に従い車の中で黙祷を捧げました。
ところは、石巻市万石浦地区を西へ向かって走っている途中でした。

女川町の中心部で瓦礫運搬をするダンプ

津波で何もなくなった女川町の中心部
(光っているのは泥だらけの砂利道です)

女川町の避難所になっている女川総合体育館にて
牛丼で有名な吉野屋の炊き出し支援を終えて
仙台に帰る途中でした。
炊き出し支援は東京のNPO法人の主催で
大型バスで40名以上もきていました。
私は仙台在住なので愛車で妻とともに移動しました。

作業一時中止中の(手渡しで牛丼を体育館入り口まで運ぶ)ボランティア

避難所では600人くらいの避難者がいるとか、
また、すぐ近くには仮設住宅もあります。
小雨にもかかわらず、牛丼を全部で750食くらい配布しました。

避難所となっている女川町総合体育館内部の様子

さて、配布が始まる前に避難所内を見て回りましたが、
すべて高さ1mくらいの段ボールで仕切られていました。
長期間の生活が強いられていることを実感しました。
一部になにかしら白いカーテンで仕切っているところがあり、
聴いてみたところ虫が多いので囲っているとのこと。
確かに外に駐車していた車には多くのハエがいました。被災地の特徴でしょうか。

避難所となっている体育館内部の様子
思い思いに時間を過ごしている
壁には拾得された思い出の写真を貼っている

体育館なので元々人が暮らすための施設ではありません。
網戸もありません。夜になると照明も十分ではないと思われます。
床にはマットを敷いていますが、ところどころ高くなっていますので
もし、就寝中に歩くとこすれる音が気になるのは間違いありません。
避難者がこのような悪環境のもとで
長期間生活していることに心から敬意を表したいものです

入浴施設入り口に掲げられた横断幕

テニスコートに開設した自衛隊の入浴施設
(四国の善通寺の部隊が担当していた)

避難者に対し、昼食用の牛丼を1食配布しただけで何の支援になるのか。
しかし、目の前の空腹を避けるためにはやむを得ません。
本当の支援とは何か? 本当の自立とは何か? 復興とは何か?
あらためて考えさせられました。

なぜか震災直後に名取市役所で相談ボランティアをした時のことを思い出しました。
ある高齢の夫婦は、新築したばかりの住宅ローンだけが残ったので
就職しなければならないという。
ある男性は塩害で農地を使えなくなり、農機具も水害で使用不可になったので、
農家を一時的に辞めて転職するという。その後、就職できたのかとても気がかりです。

さて、避難所の入り口には喫煙所があり、多くの人が腰掛けて
時間を潰しているように見受けられました。
それもそのはず、やることがないからでしょう。
年齢的には中高年者です。
おそらく働く場がないのでしょう。
しかも、その土地から離れられない事情があるのでしょう。

ところで社会保障の目的は
(1) 生活の保障・生活の安定  (2) 個人の自立支援
であると言われています。

我流のことばでは
自立支援 = 働く場所を提供 → 労働する

=収入、生きがい、やりがい → 生活の安定 という図式になります。

自立支援を行うためにはまずは産業を起こし、雇用を生み出す必要があります。
従って、産業復興手順と雇用の見通しを示すことが必要となります。

行政機関はもちろんのこと、各種団体など早期に産業復興手順と雇用の見通しを示すことに期待したいと思います。                   それにより避難者も希望が持てます。                                                      今何をすべきが見えてくると思います。予定のない、目標のない生活はたいへんです。

よく避難者に「ガンバレ」と声をかける人を見かけますが、
避難者から反発もあるようです。
そして、「夢」とか「希望」を持てと言われる方もいます。
私はそれも大切ですが、それよりも産業復興手順と雇用の見通しを
早急に示すことが具体的で大切なことではないかと思います。
人は仕事をすることにより役割を果たし、生きがいや充実感を感じることができます。
そのために生きていると言っても過言ではないかも知れません。
復興の最終目標は希望者が全員仕事に就いて役割を果たすことではないでしょうか。

東京から大型バスで前日の夜出発して女川町に来てボランティア活動をして
午後1430頃帰るというハードスケジュールをこなした東京の方たちへ、
宮城県在住者として感謝したいと思います。
被災地をご覧になって、本物の支援は何をしなければならないかを
感じとったのではないかと思います。
東京においてもできることで支援してくれることを期待しております。

最後に
「女川で水揚げされる日本一のサンマを今年も是非食べたい」と
望むのは私だけでしょうか。

お断り:画像は2020年9月8日挿入しました。

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